並行世界のものを売っている店

僕はもともとめちゃくちゃ珈琲を飲む方だった。

2徹3徹上等の労働環境だったこともあり、缶コーヒーブラック無糖を買ってガブガブ飲んでデスクに空き缶積み上げるタイプの人間だった。

でもパニック障害with離人症を起こしてから、ある日急にカフェインが駄目になった。その日は夏でいつもの通り2ℓ珈琲ペットボトルをガブ飲みしていた、そしたら倒れた。よく覚えてる。急に音がものすごく遠くから聞こえるようになって「自分」が保てなくなるんだ。自分という人間は死なないだろうけど失われるみたいな。この恐怖は説明しづらいけど、ほんとにものっそ怖いんやで!!!!!とは繰り返し言っておきたい。多分人間が本当に恐れていることの根本、死よりも受け入れられない「世界で唯一の自分という人間の尊厳の消失」が本能にまで根差していることの証明だと思ってるから。

まあ話はそれるよね。それでさー。

 

僕の家のまわりにはめっちゃ趣味的な珈琲店がたくさんあって、珈琲飲める頃だったら結構わくわくして店の前に漂う珈琲の香りで癒されたりしてたんだけど、あの珈琲とかいう黒い液体を「飲料」として認識しなくなってからというもの、「この店は飲めないものを何故作っているんだろう」としか思えなくなったのが僕的面白ポイントなんだ。

お酒を一滴も飲めない人っていうのがたまにいるけどたぶんそういう人はバーとか酒造に同じ感情を抱いているんじゃないかな。

以前の僕はその人たちの気持ちがまったくわからず、男子高校生がファンシーショップに抱くような「全然理解できない」感があるばかりなのかなって思ってたけど違うね。違う。

本当に「無」で「謎」。二度と接触不能という断絶が心情の根底レベルで刻み込まれてる。僕は一生珈琲は飲めないし豆にも焙煎方法にも、なんだっけあの先のヒョロ長いヤカンみたいなやつ、あれとかフィルターがどうのとかそういうのと一瞬で無縁になったから、本当に「何してるの……?」という困惑しかないわけなんです。香りに癒されることもない。自分だって以前は好き好んで珈琲で癒されてたから彼らが何してるか理性では解るんだけど感覚のレベルでえげつないほどピンとこない。珈琲マイスターたちは寄ってたかってあのどうにも何も使い道のない汁にどうしてそこまでこだわるんだろうとすら思う。自分と徹底的に関係なくなるっていうのはこういうことなんだ。珈琲に人生をかける人が世界中にたっくさんいるわけだしテレビでもネットでもたくさん紹介されているけど僕の中で異星人の話になってしまった。異星人の方が理解しようと思うからまだましかもしれない。とにかく興味がプラマイゼロ、きっかりゼロになった。インド人の発見したゼロになった。

ちなみに玉露は下手すると珈琲の2倍くらいカフェインを含んでいるらしくてそれがわかってから飲んでないんだけど玉露の方にはまだ未練がある。やっぱり珈琲飲んで発作起こしてそれから体に恐怖が打ち込まれたのは強いと思う。あの瞬間僕の中で珈琲は飲み物ではなくなった。

 

話は戻るけどお酒を飲めない人にとってお酒というものは飲み物ではないわけで居酒屋見るたび「これ何?」感があるんだろうなってことをはっきり理解したということです。

僕はアルハラはしないよ。飲めないなら飲めないでいいじゃないか。だから「今までごめんねお酒飲めない人たち、あなたたちの気持ちをわかってなかったよ」っていう話ではない。ただひたすらに、なるほど―――!!と思っただけなんだ。

理解する努力や批判する余地さえ一切なく、ただただ自分の人生と本当に関係がない、って、こういうことなんだなあって。ぴったり1500文字!!