ストーリー

僕は人を喜ばせることが異常に好きだと思う。

 

僕が僕のことで喜ぶことってあんまりない。物欲もない。僕はそれなりに身なりを整えているし顔のバランスも悪くないので僕の外見を飾りたいという人に服やら靴やら贈ってもらうことが少なくないんだけど「自分が」もてなされて嬉しいことってあんまりないし、「自分」を飾るのは他の人のためだ。だって目に入ってくる景色が汚いよりは綺麗なほうがいいでしょ。どちゃくそかわいい猫とかの画像が好まれるのと一緒でしょう。ある程度以上の美には善が宿っている。

ところで僕は別にすっげえイケメンとかじゃないです。ただそこそこモテるくらいの基本的な整い方はしています。八重歯だけど。

 

話がそれるのはもう許していただきたい。

 

僕が言いたかったのはみんな人生の「好き」があるけど僕の「好き」はめちゃくちゃ他人依存だなあ難儀だなあって思うということです。

人が笑ってるのが好きで興奮してるのが好きでほっとしたり泣いたりきゅんとしたりしてるのが好きで、それらの現象を全部僕の手で起こせたらすごく嬉しいしめちゃくちゃ手を尽くす。フラッシュモブとかああいう顕示欲と無神経のエスプレッソみたいなのはいらない、ただその人に合った物語と満足感を差し出したい。僕、意外と風俗向いてると思う。ああでもセックスそんなに好きじゃないからだめか。

 

人間っていうのはなんでこんなに自分が好きなんだ?自分を愛してるんだ?実は動物にはこの機能はそんなにない。群れのルールに従っている。群れや仲間を危険にさらしてまで自己主張したり自己愛を露出させる動物とかいない。昆虫とかさらに顕著だ。平気で自分の命を捨てて群れの頂点を生かそうとする。平気で、平気で。わかりやすいところは蜂とか蟻かな、深海生物でもいいよ。繁殖のために雌にとりこまれるアンコウの雄の話する?でも人間には愛がある。この愛っていうのは自己愛なんだよ。隣人愛でも恋愛でも家族愛でもなく自分にこだわる自己愛なんだ。

だから自己愛を刺激するような物語を作ると結構みんなに刺さるし、僕はそれが好きだからみんなの好きなもの教えてくれってなる。刺しにいくよ、クオリティの高い方法で。

 

違うこんなことを言いたいんじゃなくて、僕は皆に動物じゃなく人間であってほしいと思っているんだよ。みんな社会に従いすぎじゃないかな。社会を支えることを良いことだと思い込みすぎじゃないかな。道徳は存在するとか勘違いしてないかな。自分は表現できないと思いすぎじゃないかな。小さなことに振り回されすぎじゃないかな。自分は創作なんかできないって決めてかかってる人に、どんな物語が好きか聞いて、キャラクターが好きか聞いて、それを「体験」してもらったときに、これはあなただけの物語ですからね、いいですかわかって、っていうのが僕の好きなことです。一様に同じ体験を振りまくエンターテイメントなんて滅びてしまえ。消費だ、そんなもの消費だ。僕が本当に好きなのは、その人がその時でなければできなかった選択をした瞬間、その時でなければ言えなかった台詞を言った瞬間なんだ。物語だっていいじゃない。人間、虚構の世界がないと生きていけないんだよ。仏像とか宗教だってあれ設定厨の羽ばたきがバッサバッサしてるだけだからね。みんな自分だけの物語を大切にしていこう。過去と現在を結び付けているという意味で人間だれしも自分の物語は持っていると思うんだけど、それは自然界にはなくて自分が錯覚している何かだと思うんだけど、それがなきゃみんなの人生死んでしまうし物語は大事だし胸を張って自分の物語を持つべき。ただし行き過ぎるとただのドン・キホーテになるからほどほどにわきまえて……わきまえて大胆に!制限なんてないんだからさあ!

 

僕は人の物語を手伝うのがだいだいだいすきです。1570文字