市場セラピー

 今日は朝から完全にありえない目にあってちょっと泣いたんですけど、これに呼応して心臓がばくばくいいだして気が遠くなってきたので、あ、これは、まずい、と思って同居人と一緒にすごい大きな公園通って「良いスーパー」に行きました。

歩いてるだけでもだいぶ気分は落ち着くんですけど眩暈と吐き気はなかなか止まらずに、人がたくさんいるスーパー行ったら悪化するんじゃないかなあと思っていたんですけど、鮮度の良い栗蟹とか牡蠣とか車えびを見てたら回復しました。

こういう「新鮮な死体を勢いよく活気よく並べてる」場所には何かパワーがある。沖縄のなんだっけあの大きな有名な市場は僕の中で定期的に行きたい場所です。すごく良かった。それまで僕が構築してきた食欲と色彩の関係理論を上段から蹴散らしてくれるし何より色々大きかった。大きいものは好きだし南国は良い。

僕は「自力で眠れないしストレス過多だと気が遠くなって、もっと酷いと発作起こして3時間くらい倒れて動けなくなる」という特性を持っています。

同居人は「めっちゃ集中したかと思えばそれ以外のことは景気よく忘れ、人にうまく何かを伝えることがすごく下手だし時間という概念を根底から持たない」人です。

こんな愉快な者同士で暮らしてるのでかなり不安定ではあるんですが時間というものは恐ろしいもので何度も地獄のような目にあいながらなんか最近は小春日和が続いています。お互いに付き合い方がわかってきたんだ。朝のこともなんか怒られずにスッと謝ってくれたので完全にセーフでした。気は遠くなったけど。

 

twitterはやってるんだけど「ネガティブなことは書かない」縛りでこれ自体は全然悪いことじゃないんだけどやっぱり140文字の中に意味詰め込まなみたいな、どうもこう、性格的に「面白くもないし意味もないことはしたくない」っていう気質が出てしまうので、完全につぶやくためだけにブログを開設しました。書きたい。思いのたけを自分のためだけに文字にしたい。

 

ところで僕の病名はパニック障害といいます。こういう系の病気、自分は絶対に大丈夫だと思ってたけどマジこれ突然きます。意味がわからない。保険も入れない。いいけど。

発作を起こしてから脳のどこかは壊れたなあって気がしててそこから自分の健康にすごく自信がなくなって、10年後元気に生きてるビジョンが今のところ全然さっぱりまったく見えないし、病院も「どうせひっどい結果が出てめっちゃ怒られるから行きたくない」というテンプレな理由で行ってないせいでまた自信はなくなっていきます。

 

なので2018年は「死」についてずっと考えていたし、「死の哲学」パスカルの勉強を信頼できる先生のもとで行ってきたし、なんなら今も毎日僕の考えのそばに「死.exe」が走り続けています。

 

しかし自分はポジティブで楽観的な性格だと信じて疑っていないしお前のその自信はどこからくるんだとすごく、すごく言われます

どこからっていうか日々死ぬ覚悟と戦ってるから絶対に楽しいことばかりしていたいし嫌なことからは断固として逃げるし自分のためになると思うことなら貪欲にすがりついていて、つまり必死なんです。必死に生きている。

泳ぎ続けていないと死ぬマグロなだけなんです。休むことじたいがストレスだから僕は休む方法を知らない。

がーっと書いて1200文字か!!

明日パスカルの4000文字のレポート超書きたいんだけどその前に仕事のめどがまったくたってなくてウケる。なんだよ「面白いもの書け」って。どんな発注だよ。でもそういう発注があると憤怒しながら受けてしまって自分をまた追い詰めるんだ。これで丁度1500文字。