蒲田の思い出
僕が前住んでたところは蒲田だった。
家賃は確か6万5千円。駅から歩いて10分くらい。
家賃の割に結構広かったのはひとえにめちゃくちゃボロかったからだと思う。僕の家に来る人はみんなぎょっとしていた。外からは雑草生い茂りツタのはいまわる廃屋にしか見えなかった。
全部で5部屋しかないそのアパートの、赤く錆びはてた階段を昇ってすぐ右の201号室だか202号室が僕の部屋だった。
入ってすぐ左にユニットバス、というか風呂釜の置いてあるトイレ。
正面にはキッチン。結構広かったんだよ。
そこから右側には寝室。リフォームされてフローリングになったって聞いていて、そりゃ確かにフローリングだけどリフォーム#とはってかんじの、床が木であるだけの和室だった。押し入れもあったし。
でも窓は南と西?だったかな、についてて、洗濯物を干すには困らなかった。
隣人は謎ののっそりした男性で、1回部屋から出てきたところに遭遇して挨拶したけど、うっすら開いた玄関からでもわかるくらいでかでかと曼荼羅みたいなポスターが貼ってあってやばいと思った。
僕はそこで数年生きた。
キッチンが広いのは本当にいいもので、僕はすぐ調理器具と冷蔵庫と圧力なべを手に入れて余暇には全裸で料理をするのにハマッた。特に豚の角煮にハマッて、とにかく豚ブロックに圧力をかけてカレーに入れたりチャーシューにしたりした。餃子、豆腐ハンバーグ、アクアパッツァをよく作った。凄く良いスーパーが近くに沢山あったんだ。
1回押し入れから羽蟻がわいて、集合体恐怖症の僕は心底ぞっとしたけど、無表情で駆除した。必死で駆除したら出なくなったから良かった。人に頼らなくても案外イケるな、と思ったのを覚えている。
ユニットバスも実は僕には利点しかなかった。風呂を洗うついでにトイレ掃除ができるのだ。トイレの便器にシャワーでがーっとお湯を当ててがしがし洗うのは気持ちよかった。
僕は両親や家族が大好きな割には寂しさとは無縁の人間だったので、部屋の隅にででんと据えたお高めの液晶でPS3とかXbox3とかやりながら酒を飲むのが凄く凄く楽しかった。時に会社の同僚を家に呼んで、Wiiで遊んだ。アクション苦手な僕のかわりに同僚がカドゥケウスやってくれたり、2人で428とかやったのをよく覚えている。手作りの料理をつつきながら熱く仕事論を語ったりした。書いてて気づいたけど、青春だったんだな。
裏手には川があって、近くに凄くこじんまりとしたお手製の美味しいベーグル屋があって、駅前のデパ地下には美味しいものが揃っていて、うるさいドン・キホーテには下品なものすべてが売っていて、商店街を歩けばその週ごとの目玉があり、服も駅前で事足りた。
僕は終電過ぎた時間に駅前の焼きとん屋で1~2杯飲んで帰るのが好きだった。
ダイエットにもはまっていたので、大盛りキャベツとレバーとあと1~2串頼んで、あとは抹茶ハイかホッピーだった。
焼きとん屋はチェーンだったけど、そこの、たぶん50代くらいの焼き場の親父がとにかく偏屈そうな顔をしていて、でも、僕の大好きなレバーの焼きが最高だった。だからある日、ここのレバーは本当においしいです、フワが好きですと言ったら、試作品だという醤油で焼いた焼きとんを出してくれた。あれは何だったかな。シビレだったかな。レバーだった気もする。すごく美味しかった。親父さんの照れたような表情が嬉しかった。自分が思い切って声をかけたことで、親父さんが喜んでくれたんだろうなと実感できたことが嬉しかった。
蒲田は飲み屋街なので、JR蒲田と京急蒲田の間に無数の激安立ち飲み屋がある。
僕はその時たしか2年目とかで、会社ですごくつらい目にあって同僚と見慣れない立ち飲み屋に入って、ぼろぼろ泣いた。1皿150円くらいでそこそこ美味いマグロのブツを前に、悔しくて悔しくてぼろぼろ泣いた。そうしたら、いつもちゃっちゃと忙しそうに仕事をこなしていた女将さんが慰めてくれた。あんたみたいな若い子がそんなに我慢しちゃいけないよ。なんかあったらまたおいで、という旨の言葉をかけてくれた。まだあるかな、あの店。
蒲田は僕の青春だったんだと思う。
哲学にどっぷりはまってはしゃいでいた大学時代を抜けて、クリエイティブを厳しく求められる体育会系の会社に入り、社会が何かもわからないまま自分の立つ場所を必死に探していた僕に、蒲田という街は冷たくも優しくもなかった。
でも、僕の居場所を探すと「狭いけどいいかい?」と言いながらカウンター席をあけてくれる、そして必要以上に見向きはしないけど、話しかければ人懐っこい、蒲田はそういう街だった。
僕はもうあの頃に戻れない。
そんなに若くない。
でもいま、あの蒲田で救われている、過去の僕みたいな若者がいるとしたら、今すぐにでも蒲田に行って一緒に呑みたい。
もしかしたら蒲田の風景は全然変わってしまっているかもしれないけど。2008文字。